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旅行記などの新サイト
しばらく放置していましたが、旅行記の続きは下記のサイトにアップしています。

準備中のページもあり、紹介せずにいましたが、そろそろ体裁が整ってきたのでいいかな、
ということで、以下にリンクを貼ることにします。

sonosakino=旅を中心とするページです


アルバニア国内の移動2
ドレスでのホテルはレストラン併設というか、レストランがホテルも営業しているというタイプのものだった。

外でレストランを探すのが面倒だったので、夕食はホテルのレストランでとることに。料理はなぜかイタリアン。やはりイタリアとの関係が深いのだこの国は。と思いつつ、『lonely planet』を眺めると、共産主義政権末期に多くの難民がイタリアへ逃れたというようなことが書いてあった。

翌朝、7時少し前、朝食をとりにレストランに降りていくと、まだあいておらず、しばらく待つ。朝食担当のオバサンがやってきたので、イタリア語で挨拶すると通じた。食事とするわけでもないのに近所の人たちがやって来るが、彼らの挨拶もなぜか「ボンジョルノ」。でも会話はイタリア語とは思えない。

このオバサンに、アルバニア語の挨拶を教えてもらおうとした。しかし、セルビア語ともギリシャ語ともまったく違う、とても複雑な言葉だった。それでアルバニア語での挨拶の習得は早々にあきらめることに。

さて、この日は首都ティラナまで行く予定だが、移動だけでは味気ないので、アポロニ という遺跡を見に行った。いくつかの遺跡を訪問候補としてリストアップ したが「lonely planet」で割と字数を割いていたので、ここを選択。 紀元前6世紀くらから建設された都市らしいが、今残る遺構2〜3世紀のもの。

まず、前日に来た道をバス、ミニバスを乗り継ぎフィエールまで戻った(9時半のバスでinshujeまで行き=300レク、11時半頃着、すぐ乗り継ぎ)。

フィエールはけっこう大きな街で、アポロニまでのタクシーはすぐにつかまえられそうだった。ミニバスを降りる場所をさぐっていると、運転手がどこへ行くのかと聞いたきた(たぶんそう言ったのだと思う)。「アポロニだ」というと、「この車で行け」という。金額を聞くと『lonely planet』に書いてある相場よりも安かったので、彼の申し出を受けることにした(ロンプラにはフィエール−アポロニ往復が2500とあったが、僕の乗った車はフィエールまでの代金+フィエール−アポロニ往復で2500だった)。

12時頃アポロニ着。遺跡にはたいして見るべきものはなかったが、周囲ののどかな田園風景が印象的だった。遺跡はアルバニアに人たちがハイキングに来る様な場所で、ちょっとした食堂のようなものもあった。僕が遺跡を散策している間、運転手のオジサンさんはそこで休憩していたが、アルコールを飲んでいた。勘弁してくれ。。。

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アポロニの遺跡は小さな丘の上に広がっていた。

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アルバニア国内の移動1
アルバニアの物価はまったく把握していないが、取り敢えず100ユーロを両替。12400レクとなった。

ホテルに戻りアルバニア時間を確認するとやはりギリシャより1時間遅れということだった。時計を1時間戻す(とはいってもデジタルなので23時間分数字を進める)。

19時ころ、夕食をとりに外出した。適当な店がみつからず(というか客が少なすぎてなかなか入いる気がおきなかった)、海岸近くの比較的客の入りがよさそうなピッツァリアへ。

アルバニアは対岸のイタリアとの関係が密接らしいが、このレストランには本格的な窯がしつらえられており、ピザ職人の手つきもなかなか。

味は可もなく不可もなくという感じだったが、量が多すぎ。直径40センチ近くあるんじゃあないかという代物で、全部は食べきれず。


翌朝は9時頃チェックアウト。ホテルのレセプションでアドリア海に面したヴローレへのバスの便を尋ねると、早朝5時半の便しかないとのこと。他の選択肢を探さなくてはならない。

バスターミナルというかバスの発着所へ行くと、ちょうどティラナ行きのバスがあった。しかし、この日はドレス泊の予定。例によって言葉が通じないので、「ドレス?」と聞くと「乗れ」というジェスチャー。

バスは前日通った道を通り、アルバニアの南北を貫くメインルートに入った。とはいっても細い山越えの連続の道。アルバニア南部はたいへん山がちなのである。工事中のところも非常に多く、ノロノロしか走れない。しかし、4〜5年たったら道路事情は一変しているかもしれない。


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フィエールという街をすぎたあたりから道が広く、よくなる。フィエールには、また翌日来る予定である。ここの近くにあるアポローニの遺跡へ行くために。

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ドレス行きと思われる列車。バスよりも全然遅い。追い抜いたバスは、どんどんその差
を広げていった。

フィーエールから1時間40分(16時10分頃)、バスは割りと大きな街の入り口にさしかかった。降りる客も多く、バスの車掌役の男に「ドレスか?」と聞くと「そうだ」と頷いた(ようだ)。街の中心にはまだけっこう距離がありそうだが、まっすぐ伸びた道路の向こうに高い建物が並んでいるのはみえる。あのあたりが街の中心だろう。歩いて30分くらいか? と思って歩き出したのがいけなかった。街の中心ではなかったのである。バスを降りたところにいた客待ちのタクシーをつかまえておけばよかったと思っても後の祭りである。

今歩いている道がどこへ通じているのか、それすら不安になってきたところで、さっき追い越した列車が道路からドンドン離れている線路を汽笛を鳴らしながら走っていった。ホントに遅い。

結局、ドレス駅まで1時間半近くを要した。6〜7kmは歩いた計算である。


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薄暮のドレスの街。正面に見えるのはモスクだが、キリスト教徒も多数住む国である。
ギリシャ−アルバニア陸路国境越え
船を降りた僕は、記憶を頼りにバスターミナルの方向へ向けて歩き出した。しかし、勝手知ったるイグメニッツァというわけには行かなかった。街の様子は随分かわっており、バスターミナルも移転していた。

港のインフォメーションで新しいバスターミナルの場所を確認。幸い徒歩圏。

地図を見ると、イグメニッツァからは海沿いに北上していってもアルバニアに入れそうだが、このルートの情報は全然ない。といことで、メインルートらしいイオアニナ経由のルートを選択。

11時半のバスで出発、13時頃イオアニナ到着。

チケット売り場で英語で「アルバニアへ行きたい」というと、ちゃんと通じて「カカビア行きに乗りなさい」との返答。出発は13時半と非常によい接続。これで今日中のアルバニア入国は確実となった。計画段階ではイオアニナ泊というのも覚悟していたので、実に順調だ。

15時少し前にカカビア到着。目の前には国境のゲートが。バスは街の真ん中にでも到着して、そこから歩きかタクシーかと思っていたので拍子抜けする。沢山いたバスの同乗者もみな国境へ向って歩き出す。どうやら地元の人たちの行き来が盛んらしい。

ギリシャ側の出国手続きを終えて坂道をのぼっていくと、のぼりきったところにアルバニア側のイミグレがあった。その坂道を歩いていると、アルバニアのタクシーの運ちゃんらしき男性が客引きにやって来た。

「ジロカステーロまで10ユーロ」とか言っているが、ジロカステーロってどこだ? という程度のアルバニアの予習状態。地図を開けばよいのだが、イミグレを出たら路線バスがあるかもしれないとも思ったので、運ちゃんには生返事だけ返しておく。

何の問題もなくアルバニア入国。期待した路線バスはなさそうで、さっきから僕から離れず歩いている運ちゃんに頼るしかない。結局、アルバニア人の二人連れとともにタクシーに乗車することにした。しかし、この日の僕の目的地はサランダ。サランダから海沿いに北上して行きたいと考えていたのだ。

そこで地図を開いてサランダへの分岐を指差し、そこで降ろしてもらうことにした(5ユーロで合意)。サランダはそれなりの大きさの街という感じだから、分岐点の街で公共の交通機関を捕まえられるだろう。

さて、分岐点らしきところに着いた。こんなに短い距離で5ユーロか? という時間しか車に乗っていなかった。

しかし、まったく何もないところだ。こんなところで公共の交通機関を捕まえられるのか? という疑問もわいてきたが、運ちゃんは「ここで待っていたら、あっちの方からバスが来るから」といっている(らしい)。まあ、1時間も待てば何とかなるだろう、と思ってタクシーを見送ると、すぐに1台の車が止まった。「どこに行くんだ?」と言っているらしいので、「サランダだ」というと「乗れ」というジェスチャー。

しかし、その前に料金交渉だ。ポケットにあったコインをみせて「いくらだ?」と問うと、指5本を出した。「5ユーロか?」というと「そうだ」といっている風。

先客が一人いたが、客という風ではない。もしかすると白タクかもしれない。が、距離からみて5ユーロはさっきのタクシー(ギリシャとアルバニアの緩衝地帯に入ってこれたのだからちゃんとしたライセンスがあるのだろうと思う)よりずっと安い。

まがりくねった山道を行くことを○○分(忘れてしまいました)、16時10分ころ、サランダ到着。

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サランダ。

海岸沿いのホテルに部屋(1泊約30ドル)をとると、すぐに両替に出かけた。しかし、銀行の入口の営業時間の表示を見ると「16時まで」。僕の時計はすでに「16時40分」「だめか」と思って中に入ると、まだ営業をしている風。「両替をしたいのですが」と言うと「OK」だという。ギリシャとアルバニアには時差があったのである(アルバニアは1時間遅れ)。


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ホテル・カオニア。小奇麗なホテルで、スタッフもフレ
ンドリーだった。
イグメニッツァへ
さて、旅の始点となるイグメニッツァへはどうやって行こうか。
アテネからバスという手があるが、約8時間かかり、これだけで1日がつぶれてしまう。短い旅程で、既に通ったルートにそんなに時間をかけるのはもったいない。そこで、イグメニッツァの対岸にあるケルキラ島まで飛ぶことにした。が、アテネ発ケルキラ行きの便の出発時刻は、なんと早朝5時25分。しかし、これで行くしかない。実はアテネからあちこちの島に飛ぶ便はなぜかこうした早朝便が多く、ケルキラ行きだけが早いわけではないのである。

日本からアテネは直行便はなく、僕はパリで乗り継ぎ、夜11時頃アテネ到着の予定である。11時に着いて、翌朝の5時半ころ出発。これだと、アテネ市内に出て泊っても3時間くらいしか寝られない。空港近くのホテルはバカ高い。ということで、空港の夜明かしをすることにした。

5時25分、定刻で出発したオリンピック航空機は、6時20分頃、まだ真っ暗なケルキラ島に到着した。

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夜明け前のケルキラの空港。

空港からタクシーに乗り、運転手に「ニューポート(新港)」と告げると、「イグメニッツァへ行くのか?」と聞かれた。こうした客が多いのか、はたまた、ケルキラからの船の行き先が極めて限られているのか。

6時40分頃、港に着くと、ちょうどケルキラ行きが出港したところだった。運転手は残念がってくれたが、僕はケルキラの旧市街を散策してからイグメニッツァへ行くつもりなので、「ノープロブレム」と答えておいた。次のイグメニッツァ行きは8時30分。割と頻発である。

船の出発時刻を確認した後、旧市街に向けて歩き出した。7時少し前、ようやく明るくなり、ちょうどうまい具合に旧市街の入り口付近に到着。

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さすが早朝だけに街は眠った状態。あてずっぽうに歩いたあと港に戻った。

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ケルキラの港。

『Lonely Planet』によるとケルキラからアルバニアへの船が出ているということだったが、9時発のサランダ行きの便があった。手っ取り早くアルバニアに入国したいと思わなくもなかったが、「ユーラシア陸路の旅」を遂行中なので愚直に陸路を行くことにする。ということで、イグメニッツァ行きの便に乗船。

ベタナギのなか、校外学習か何かでイグメニッツァへ向う高校生たちで騒がしい船にのること1時間半、懐かしいイグメニッツァ港に到着(イグメニッツァには2002年春にイタリアはバーリからの船で降り立っている)。